2014年8月31日日曜日

障がいを持っていると言われている方のレッスンについて



私は、この「障がい」という言葉をつかうことに、とても抵抗があります。
それは、決してよい表現ではないと感じるからです。
でも、私や世界の人々の間で、お互いに、その言葉を聴いてわかる、共通の言葉を、残念ながら他に知りません。

生まれ持ってきた、身体の機能的なもの、知的なものや病気、生きていく中で動かなくなった、または、ゆっくり発達している身体の機能、脳の機能や病気、心のこと。。。
そういう、「障がい」と呼ばれているものを、受け取った人たち。
そういう個性を持った人たちが、一番求めていること、やりたいことは何でしょう?
それは、自分でいることだと私は感じています。

その当事者、またその親御さんたちは、いろんな悩みや苦しみや悲しみを経験します。
学校や、施設では、社会に適応するための訓練もあります。
その訓練が、二次障害を生み出すこともあります。
いろんな人が、その人のことを思ってやっていることが、時には苦しみになったりする。

障がいと言われるものを持って生まれた人、それを生きていくなかで受け取った人、その当事者もですが、親御さんもいろんな苦しみや悲しみの体験をしていきます。
社会に適応するために、受けた訓練や練習で、できることが増えていくというのは、喜びでもあるけれど、無理をすれば、さらに、心を閉ざしてしまうこともある。

少し頑張ったらできることは、励ましながらやって行き、どうしてもできないことがあるなら、それを認めることが大事なのかも。
自分のまま、そのままの自分でいることが、とても大事だと感じます。

私が、この音楽セラピーでやることは、好きな歌を、その人のためだけに歌ったり、一緒に歌ったり、優しい音色のコロイのフルートを吹いてみたり、ライアーを、その人のためだけに奏でたり、弾いてもらったり、その人にとっての心地いい時間、楽しい時間の経験を、積み重ねていくことです。
その中で、ピアノに触れたり、奏でたりできるようになれば、それは、とっても素敵なことだと思います。
このセラピーは、私が学んできたシュタイナー教育の影響も大きいと思います。

音楽家になるなら、もちろん訓練も必要でしょう。
でも、本来もっとも大切なのは、音楽を楽しむこと、自分を表現することだと感じます。
また、セラピーにあたる音楽家は、いろいろな障がいや、個性について、深い学びが必要になります。
それがなくては、当事者とご家族の悩みを増したり、悲しみを呼んだりすることになるからです。
また、この大切な時間と空間と体験と人生の共有は、決してビジネスとしてやってはいけないことだと感じています。真摯に向き合い、ともに成長していくことが大切です。

今では、大きな音楽教室が、とても小さなこどもを、教室に勧誘していますが、身体を動かしたり、楽器を弾いたりするのには、ベストの「時」があります。
身体や心の成長にあった、体験がいいな〜と、私は自分自身の教えた体験の中からも感じています。


治療教育、音楽療法とは、治療にあたる者や当事者の家族までもを癒やす療法でもあります。
家族の癒やしや、家族との会話は、なにより大事だと感じます。

いろんな意味で、本当にアウトサイダーな教室ではありますし、共感してくださった方のためのレッスンやセラピーでいいと思っていますが、こんな考え方や、感じ方をする人間もいるんだということを、発信していきたい思いもあり、正直な自分の思いをこのグログで書いていこうと思っています。


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